どんな流れで農業やってきたの?
は〜ぃ、
今日はどんな形で農業って仕事をやってきたのか?ってところの話しを
できるとこまで書いていきますね〜★
まずは前回のブログで
(じいさんに相談したら始まってた!)
ってことなんです(笑)
いつの間にかじいさんが農協に連絡して
「イチジク作りたいんじゃー」的な感じやと思うんですけどね
(そこはオイラもわからない(^_^;))
それで農協から2人の職員さんが来られまして
その3日後くらいかな!
イチジクの苗木が120本届きました(笑)
「どこに?!どうやって?!どうすんの?!」
何を聞いても
「ワシは知らん!おまえが!」って(笑)
どうしよー。
どの向きに耕せば?
畝は谷はどんな広さで?
なんせ家庭菜園手伝いからの
いきなりの全ていきなりですから(;´∀`)
そうこうしてたら
農協の職員から隣の村でもやってる人がいると聞いてたので
すぐに直行ですよ
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て )/ /
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ωω
イッテキマスー!!!!
; ' ;
\,,(' ⌒`;;)
(;; (´・:;⌒)/
(;. (´⌒` ,;) )’
((´:,
そしたら、
やっぱり、
人のつながりって、
スゴいんですよね!
そのオジサンすぐに来てくれて
すぐに誰かに連絡!
そしたらまた違う知らないオジサン来てくれて
なんと、
その後やから来てくれたオジサン、
姫路イチジク部会の会長さん∑(๑º口º๑)!!
そんな人が隣の町で30数年イチジク育ててたんだとか!!!
それで?
いや、まだまだ、
その会長さんが
「近いうちにまた来るわ!」
って言い残して
その日は苗木の植え方なんかを教えてくださって帰って行かれました!
またその3日後くらいかな?
車が数台現れて
「お!やっとるか!」
って会長さんがまたまた知らないオジサン連れてきて
「あ!県の普及センターの!」
って県の農政の果樹の指導員さんを連れてきてくださり
植え方から育て方や今後のプランなんかを話し合い
色々指導してもらってからと言うものの
毎週のようにその指導員さんが来てくださるようになり
それだけじゃないんです!(笑)
今度は助手席に違う顔が!
野菜の担当で
スゴく多方面にパイプの太い指導員さんを連れてきてくださり
(この2人の指導員さん、姫路から離れられた今でも個人的にお世話になってます)
ホンマに人のつながりって
どこでどんなことが起こるのか
ご縁って不思議なもんです(笑)
そしてこの2人から
「おいコアラ!おまえも愛媛来るか?旅行!無料や!」
って言われても何のこと?
「まぁええから○日あけとけよ!」
って言われて数日後。。。
待ち合わせ場所に
待ち合わせ時間に
そしたら1台のワンボックスカーに乗り込んで
いざ四国は愛媛県!
その時のメンバーが
県の指導員さん2人
オイラ(姫路の農家代表)
たつのの農家代表の人
そして農協の代表の人(ホンマなら元メジャーリーガー長谷川投手のお兄さんの予定だった)
その5人で愛媛県は内子町のカラリ内子って道の駅に行きました!
なぜ?
その道の駅、
元々は農協の直売所だったのですが
経営がうまくいかず
一度潰れてたらしいんです。
そしてその時の社長さんが
野田文子さんって女性なんですが
町と民間からなる第3セクターとして直売所をリニューアルするにあたって
直売会から社長任命され
当時訪ねた時にはもう田舎の直売所でありながら
その直売所1カ所で年商1000万円クラスの農家さんが20人以上にまで成功を成し遂げてたと聞いて
ただただア然。。。
(ºдº)アッー!!!!↑
潰れてた直売所ですよ!
単純に20人で2億円ですよ!
もっといっぱいの生産者さんもおられるんですよ!
なぜそこまで成功できたのか?とか
その辺の話しはまた近いうちに!
その野田先生とも近年まで年賀状のやり取りだけはさせてもらってたし
個人的にも家族旅行でカラリ内子にも行かせてもらったり
姫路への講演会もその指導員さん経由で行ってもらったり
ホンマにご縁ってどこでどう繋がるかわからないもんです!
でも残念ながら
資金面での援助とかのご縁はなかったです(笑)
その辺の話しも近いうちに(笑)
これは農業って世界に入ってから
わずか3年間ほどの出来事なんですけど
ビクビク怯えてないで
1歩前へ踏み出せば何だかの扉は開けるかも!
ってことです!
でも良いことばかりじゃないし
今後はテンション下がるような話題が増えていきますが
心して楽しみにしてもらえたら!と思います(笑)
ではでは( ´ ▽ ` )ノ
自己紹介★
こんにちは!
こあらさんって何してる人?
どこで生まれて何をしてきた人?
そんなことを今回は書いていこうと思います!
頭の中でとっ散らかっちゃうので
順序バラバラで読みにくくなったらごめんなさいね(^_^;)
まずは
1982/5/11(昭和57年)に兵庫県の姫路市ってところで
4000g?5000g?よくわかんないですけど
かなり大きな状態で産まれてきたみたいです!
3人兄弟の1番上のお兄ちゃんやってます!
1番頼りないんですけどね(笑)
親にとって初めての子供がビックリするくらい大きく産まれてきたせいで
母乳だけじゃ足りなくて
やたらと牛乳飲んでて、飲みすぎて自家中毒になったらしく、小児科に連れてってくれたばあさんが医者に叱られた!ってよくボヤいてましたが
そんなんこっちは知らんし( ー̀ωー́ )
その後、牛乳は少しずつ苦手になっていきます(笑)
保育園のときに祖父が大病(胆石なので今はそんな大掛かりじゃないみたいですが当時は胸からヘソくらいまで切って手術してました)になったので
早めの隠居と共に家庭菜園と共働きの子供に代わってオイラたち孫の子守りをばあさんと共に始まります。
朝はじいさんの車で保育園まで送ってもらって
保育園の地区からはバスの便も多いので、母さんは小さな弟を連れて祖父母から受継いだ酒屋さんに通ってました!
夕方になれば祖父母が保育園に迎えに来てくれてました!
1年がたち、年子の弟も保育園に入ってくるときに
「お兄ちゃんやし一緒の方がいいかな?祖父母に迷惑へるかな?」
保育園児にしてそこまで気にする子になってたらしく、同級生はみんな幼稚園に上がっていきましたが、オイラは保育園で年長さんになり、みんなからけん兄と呼ばれて慕われてることで
リーダーになった気分で調子に乗ってた時期です(笑)
小学生になってからも調子に乗ってるのは続き、3年生くらいまではクラスの人気者でした!
でも4年生くらいから少しずつおとなしくと言うか落ち着いていきました(笑)
初めて女性を意識し始めたのはこの頃ですね!(/ω\)
ちなみに初恋のゆきちゃんは好きになった1週間後に転校していくと言う、この頃から恋愛運はなかったみたいです(;´∀`)
5、6年生はよく田んぼやグランドで野球やサッカーしてましたね!
Jリーグができたのがこの頃で、野球も大好きで、
スポーツの知識はこの頃が1番詳しかったかも!
そして憧れのCDラジカセを買ってもらって、歌手はばあさんがよく聴く演歌か父がよく聴くフォークソングしか知りませんでしたが
母さんがチョイスしたCHAGE and ASKAにどっぷりハマって、中2までは他の歌手には全く興味なかったですね!
中3のときにX JAPANの解散のテレビでX JAPANを知り、そこからビジュアル系ロックにハマっていくんですが、話しは少し戻ります(笑)
順風満帆に小学生をやってたんですが、
転機は近づいてきます!
6年生のときに休み時間にトイレに行ったはずなのに授業中にもトイレに行きたくなり
それがだんだんエスカレートしていき、毎日毎時間授業中にトイレに行きたくなり、
さすがに精神的にも肉体的にもクタクタになって泌尿器科に行くものの心療内科を紹介され、2回ほどカウンセリングに行ったのかな?
やっぱりいくら祖父母に可愛がっててもらっても、親ほどは甘えられないし幼い兄弟のこととか知らず知らずのうちに気を使ってたみたいです。
全く自覚ないんですけどね(笑)
それからも少しの間は保健室登校してたんですけど、
こんなの学校に来る意味あるのかな?って不快感から全く行かなくなりました。
なので中学もほぼほぼ引き込もってます(;´∀`)
心療内科から教育相談センターって市の施設を紹介してもらって、毎週通うようになり
引きこもりながらも少しは外にも出てました!
その教育相談センターに毎日通えるフリースクールがあったんですが、1つ上の子たちが、先生方も手のつけられないヤンチャな子たちだったので、そこに入るのにはかえって逆効果になるかも!って先生方の配慮で3年生から通い始めて、引きこもり卒業しました\( *´ω`* )/
そして進学なんですけど高校も考えたんですが、勉強なんて何もわからないし
#兵庫県立神出学園 って2年間の寮制のフリースクールがありまして、そこで適度に動いたりバンドなんかもやって前向きになっていきまして
2年後に #兵庫県立山の学校 って林業を授業に混じえながら、就職訓練的なメニューの授業で完全に外仕事のスタイルに仕上げられちゃいました(笑)
そして就職!
就職は学校の造園の講師できてた造園業の社長のところにオイラだけ履歴書も面接もなく勝手に決められちゃいまして、仕方なく行くことになりました。
交通費込み労災保険なし従業員は好きに使って気に入らなかったら八つ当たり。
そんな社長の元、他の従業員にはかわいがってもらってたので半年は続けました!
元々職人でもない社長ですし、仕事内容は草刈りや除草剤散布や街路樹の剪定、ひどいときは炎天下の街路樹の水やりしたりしてました(笑)
そんなある日に時々応援で来てくれてた職人の若い兄さんに
「○さん、相談あるんです」
「どうした?」
「京都とか修行に行きたいんですけど…」
「山本君、帰りに街見渡してん?庭のある家何軒ある?」
その言葉に( ゚д゚)ハッ!となりました!
田舎育ちのオイラには家に庭があるのは当然だったんですけど、街の方では庭に木を植えるスペースどころか、車すら置けないのが時代の流れでした。
そんなときにある大きな葬儀屋のオープンに備えた庭作りの仕事がきまして
その日に限って台風直撃!
何の連絡もないので遅れながら会社に行くと、奥さんからもうみんな現場に行ったと伝えられ、慌てて現場へ!
着いたときにはみんなズブ濡れでトレーラから木を下ろして図面の配置で花壇に木を並べでした!
「あれ!若いの!遅いやん(笑)」
応援で来てくれてた職人さんたちが気さくに声をかけてくれる中、社長はひたすら無視。
そして休憩時間にオイラをソッと誰もいないところに連れて行き
「どうゆうつもりや!トラックは昨日から九州から来てるねん!オマエの都合で作業ストップなんかできるか!」
とか何も状況もわからないまま初めて聞かされる伐倒の中あまりにも理不尽なのでプツンと良からぬスイッチが入って、みんなにも聞こえるように
「今すぐ辞めたるわ!」
って!
その瞬間コロっと社長が手のひら返して
「いや、ちゃうねん、いや…」
っておどおどしてましたが、作業終わって近所のモスバーガーにて
「今すぐってのは法律上あかんから1ヶ月こい」
って言われ、そこからの1ヶ月はいつもに増して八つ当たり地獄でしたし、給料もバイト扱いで時給にしたら500円くらいやったと思いますけど
それで辞められるのであれば、まぁいいか!って(笑)
それが9月だったかな?10月だったかな?
明けて正月に祖父母の家に帰ったときに暇つぶしに家庭菜園を手伝いながら
「実は仕事やめたねん」
ってじいさんに伝えたら、何かいつもより穏やかに「そーかー」って感じで反応薄いなー。。。って。
3カ月くらいダラダラそんな生活してたのかな? 日向ぼっこしながらじいさんに
「農家って儲かるん?」
何気なく言ったその言葉をじいさんは待ってました!かのように
「おい!行くぞ!」
いきなり車に乗せられじいさんの実家近所へ!
(うちのじいさん養子なんです)
そこはイチジクだらけで、実はじいさんの幼なじみの家の畑だったんですが留守でおられず、
イチジクで一発当てるのがじいさんの夢だったらしいです(笑)
そしてその1週間後くらいに寝てたらばあさんに叩き起こされて
「お客さんが来てる!」
ってのが農協職員で、知らない間にイチジク部会の手続きが終わってました!∑(๑º口º๑)!!
それがオイラの農業の始まりです(笑)
初めて書いたけどブログってこんなのでいいのかな?
良かったらコメントでもください!
気が向いたら続き色々ダラダラ書いていきます(笑)
設定に1時間半かかってます。
わけがわからないので
今日はこのへんで寝ます
...zzz
∩∩ o
⊂(-ω-⊂⌒⊃